2008年4月6日日曜日

GODZILLA

アメリカの、メジャーリーグで活躍している、日本人の野球選手の中に”GODZILLA”の愛称で親しまれている選手がいます。”松井秀喜選手”の事です。怪獣の”GODZILLA”も好きではありますが、彼の事も好きなのです。彼は日本の石川県出身で、”星稜高等学校”の野球部に在籍。1年生の時から4番打者を務めている。小学生の時には、町の柔道教室に通っており子供の時には柔道をやるか野球をやるか悩んだ時期もあったといいます。中学校に進学した際に柔道部が無かった為、野球に専念する事となりました。この中学生時代から彼の逸材ぶりはうかがえます。軟球とはいえ、打撃の飛距離が130mにも達していたそうです。そして軟球を割る事もしばしばあったと聞きます。ボール代だけでも半年間で10万円を超える事もあったそうです。高校時代には並はずれたパワーで、打撃練習の際にあまりにも柵越えを連発するため、練習場のライトフェンス後方に特別のネットが取り付けられるといった事もありました。桁はずれの話題性から「10年に1人の怪物」などと言われていました。高校野球の試合では、対明徳義塾戦で5打席連続敬遠を受ける。明徳義塾高校の監督は、松井選手のいる星稜高校の練習を見て「高校生の中に1人だけプロの選手が混ざっていた」と試合後コメントした。
1993年に、”読売巨人GIANTS”入団。プロ初のキャンプでは、150m級の場外弾を連発して、ファンの度肝を抜く。有名な野球評論家達には「王貞治よりも上だ」と絶賛された。その後、2002年シーズン終了後にFA権を行使し、メジャーリーグの”ニューヨーク・ヤンキース”へ入団する。”読売巨人GIANTS”は、松井選手が在籍していた10年間に、リーグ優勝4回(内日本一3回)だったが、松井選手が抜けた2003年以降、4年間にわたってリーグ優勝から遠ざかる。球団の人気、試合の視聴率、球場への観客動員数もそれぞれ低下する。その後、球団は以前に増して露骨な戦力補強を繰り返している。松井選手の存在が、どれほど大きかったかを物語っている。
また松井選手は、”読売巨人GIANTS”時代から、天災やテロでの被害者・被害地への義援金を一度に数千万出資している。2004年に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震の際には義援金として5000万円を、2007年に発生した能登半島地震の際には1000万円を寄付した。ベトナムの孤児として暮らす10人ほどの子供達に対しても、経済的里親として支援金を送っている。本業の野球以外にも、CM撮影やTV出演などで激務にも拘らず、練習後にファンにサインをねだられても断るような事はしないらしく、小学校の道徳教育の副読本にも取り上げられている。また自分の成績よりも、チームの成績にこだわっている所もある。2001年に単打が出ればサイクルヒット達成という状況の8回5打席でヒットを打つが、個人記録よりもチームの勝利を選び1塁ベースを蹴って2塁に進んだ。ヤンキース1年目のキャンプ中にトーリ監督が「エンドランのサインを出してもいいか?」と訊ねたところ、松井選手は「何でもします」と答えたそうです。
こんな人柄も良い松井選手ですが、今年の3月に結婚しました。本当におめでとうございます。まだまだ現役で、これからも活躍できるはずです。日本から応援しています。

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